東京土建国民健康保険組合とは

東京土建国保組合は、組合員が出し合ったお金(保険料)と国や東京都の補助金で、病気やけがのときに安心して医療機関にかかれるようにしようという趣旨でつくられた国保組合です。

1950年代のはじめまでは、工場労働者や一部の会社員などを除く多くの国民には医療保険の適用がありませんでした。建設労働者も「けがと弁当は手前持ち」の言葉で表されていたように、万が一の病気のときは、全額自費で治療を受けていました。仕事を休まなければならないため、病気になることは、そのまま“平和な暮らしの崩壊”につながっていきました。
そこで、私たちの先輩、東京土建のたくさんの組合員たちが「職人も労働者だ、安心して働ける社会保障が必要なんだ」と、署名やデモ、座り込みなど眠る間も惜しんで請願運動を展開した結果、ついに1953(昭和28)年、政府に日雇労働者健康保険法の制定を認めさせました。
これは日本の歴史上、労働者が自らのカで政府に認めさせた初めての社会保障制度となり、以後、多くの労働運動の励みとなりました。
ところが、11年後の1964(昭和39)年、政府は財政難を理由に「日雇健康保険法廃止」を打ち出してきました。日雇健康保険が廃止されたら、建設労働者の生活は、また昔のように不安定なものになってしまいます。このときは、組合員だけではなく、その家族、とくに主婦たちが熱心に反対運動を繰り広げました。
しかし、この運動によって何とか廃止を食い止めたものの、6年後の1970(昭和45)年5月13日、厚生省(当時)は一方的に日雇健康保険の擬制適用廃止を断行し、建設労働者から健康保険を奪いとってしまいました。
勇気ある先輩たちは、「このままでは、建設職人の健康や暮らしは守れない」と決起し、東京都の認可を得て同年8月1日、東京土建一般労働組合を母体として、現在の「東京土建国民健康保険組合」を誕生させました。
設立以来54年、東京土建国保組合は、仲間の団結の力によって幾多の困難を克服し、全国的に見ても有数の国民健康保険組合に成長しました。

保険料と補助金で仲間の代表が運営

国民健康保険には、都道府県及び市区町村が運営している公営国保と、東京土建国保組合のように同業種(建設、食品、美容など)の人たちが母体団体を基礎に組織し、運営する国保組合の2つがあります。
国保組合は、国民健康保険法第三章の規定にもとづき設立・運営している公法人であり、国民健康保険法にもとづき、規約の変更や重要な財産の処分等は都知事の認可をうけ、厚生労働省や東京都の指導を受けながら運営しています。
東京土建国保組合は、(1)保険料をきちんとあつめ、(2)医療機関に適正な支払いをし、(3)組合員や家族の健康管理をすすめる、という3つの事業を中心に運営をしています。
これらの事業を実施するため、毎年4月から翌年3月までを事業年度として、事業計画や予算などを各支部から選ばれた「組合会議員」の審議・承認を経て定め、「理事会」が責任をもって運営しています。

組合会と組合会議員
組合会は国保組合の規約、事業計画、予算、決算などの重要な事項を決定する機関です。組合会議員は各支部から選ばれた36人で構成されています。

理事会と理事
理事会は組合会で決定した事業計画や予算を執行する機関です。理事の定数は12人です。

理事長・副理事長
理事長・副理事長は理事の互選で選ばれます。理事長は組合運営の最高責任者で、国保組合を代表します。

専務理事・常務理事
専務理事・常務理事は理事の互選で選ばれ、理事長および副理事長を補佐し、日常の事業運営に必要な事項を処理します。

監事
監事は国保組合の事業や予算の執行および財産の状況など、組合事務全般について監査を行います。監事の定数は2人です。

国保組合の組合会議員と理事・監事の定数は次のとおりです。

組合会議員
(各支部より1人選出) 36人
理事 12人
うち
・理事長  1人
・副理事長 1人
・専務理事 1人
・常務理事 1人
監事 2人